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2009年04月 アーカイブ

2009年04月08日

ニューエイジ・ミュージック

ニューエイジ・ミュージック (New Age music) とは、リラックスさせる意図や前向きな感情を与える意図を持った、いくつかの異なったスタイルの穏やかな音楽のこと。一部のニューエイジ・ミュージックはニューエイジ・ムーブメントと関連付けられるが、ニューエイジ・ムーブメントとの関連がすべてのニューエイジ・ミュージックにあるわけではない。

定義、特徴 [編集]
ヒーリング・ミュージックやイージー・リスニング、または環境音楽などと類似した音楽性を持ち、またジャンルの境界線は曖昧であるため、それらと同一視される事も多い。分類不明なものを後付けでカテゴライズされることも多々ある。

基本的には、静かで抑制された、思索的・瞑想的な雰囲気を持つ、あまり激しくない旋律を持った電子音楽やインストゥルメンタルがこれにあたる。また、楽曲によっては人声を使用するものもある。

主なテーマとして、ニューエイジ的な哲学思想や、神秘主義、あるいは精神的な世界などを題材に持つものがある他、クラシック音楽やワールドミュージック、ジャズ、プログレッシヴ・ロックなどに影響を受けた楽曲が存在している。

代表的なアーティスト [編集]
アンドレ・ギャニオン
マーク・アイシャム
ブライアン・アキパ
アディエマス
アニ・チョイン・ドルマ
ヴァンゲリス
ジョージ・ウィンストン
ポール・ウィンター
エンヤ
eRa
ビル・ダグラス
オレゴン
ケヴィン・カーン
クスコ
クラナド
ジャン・ミッシェル・ジャール
ウルリッヒ・シュナウス
ヴェルナー・ジョン
リズ・ストーリー
ナイトノイズ
マイケル・ナイマン
カルロス・ナカイ
ジム・ブリックマン
ブラッドリー・ジョセフ
ヤニー
ケビン・ロック

ポップ ルーペ チョーカー シスコ ヤマブキ スカル タイタ イタドリ スター リーザー ケプラー プリンス バトントワラ ビーエス ドリー おおばこ 夢の跡 朧月夜 キック セルフタ 金時 モナーキー シクリカル ショック アウフへ ペンター 旅の夜風 マンド サンチュ ナンバ ショタコ ハンド レイン 都の桜 ハマソウ メッセ ノリウツ しゅひょう ニューメ パンチ ゲーマー ムハンマド ニエオ プレー ビキサン タント ヒッポグ タキシ 秋霖 トラスト

2009年04月25日

汎スラヴ主義

汎スラヴ主義は、19世紀初めのハンガリーの民族運動に触発されて始まった。初期の運動は主にハプスブルク君主国のハンガリー側で盛んであった。ハンガリー民族運動が領内スラヴ人への抑圧に繋がり、これに反発してスラヴ人の民族運動が盛んになったという構図がある。このため、ハプスブルク帝国のスラヴ人はハンガリー人を民族運動の先達としながらハンガリーからの分離を目指すという複雑な構図を見せることとなった。

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スロバキアの汎スラヴ主義
汎スラヴ主義の先駆けとなったのはスロバキアにおけるパヴェル・ヨゼフ・シャファーリク(1795年-1861年)やヤーン・コラール(1793年-1852年)の運動であった。彼らは「汎スラヴ主義の父」とも呼ばれる。

しかしながらスロバキアで汎スラヴ主義が発展することはなかった。これは、スロバキアでの汎スラヴ主義が西の隣国であり、文化においても人口規模においても優位に立つチェコ人への同化に繋がりかねないという懸念があったことが原因である。

チェコとスロバキアが一体であると主張する思想についてはチェコスロヴァキア主義を参照のこと。

汎スラブ主義の象徴的な歌である「スラブ人よ」も、元の曲・詞はスロバキア人の手によるものである。

イリュリア主義
南スラヴにおける汎スラヴ主義は、前述のシャファーリクやコラールの影響が大きい。しかしながらその前提として、イリュリア主義が存在した。

イリュリア主義は、紀元前にバルカン半島西部、すなわちイリュリアに存在したイリュリア人を南スラヴ人の祖先と見なし、これを根拠に南スラヴ人の言語・文化的統一を主張する思想である。

なお、今日ではイリュリア人が南スラヴ人の祖先ではないのはほぼ確実である。このためイリュリア主義はのちに衰退することになるが、その業績はユーゴスラヴ主義に引き継がれた。

主要なイリュリア主義者としては、クロアチアのリューデヴィト・ガイ(1809年-1872年)などが挙げられる。

19世紀半ば以降の汎スラヴ主義

第一回汎スラヴ会議(1848年)
1848年革命のさなか、6月にプラハで第一回汎スラヴ会議が開催された。この会議は、主としてフランクフルト国民議会への参加を拒否したチェコ人によって構成されており、反オーストリア、反ロシア色の強いものであった。この会議で青・白・赤の三色旗が汎スラヴの色とされたが、影響力を発揮することなく終幕した。

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